Q. 問題ない状態で上書きすればすむ話じゃないの?
A. 今回は最初の版に転載があります。2版以降は基本的に、直前の版を改編した二次著作物とみなされるため、芋づる的に全ての版が削除になってしまいます。
この記述は著作権法28条に根拠があると思われます。
(二次的著作物の利用に関する原著作者の権利)
第28条 二次的著作物の原著作物の著作者は、当該二次的著作物の利用に関し、この款に規定する権利で当該二次的著作物の著作者が有するものと同一の種類の権利を専有する。
本条の趣旨について争われた事例として、キャンディ・キャンディ事件(最判平成13年10月25日判時1767号115頁)をあげることができます。
最高裁判決においては、はっきりと趣旨が示されていませんが、高裁は次のように判示しています。
控訴人は、漫画のコマ絵には、漫画のストーリーを表しているコマ絵と、ストーリーを表していないコマ絵とがあり、漫画の物語作者と絵画作者とが異なる場合、後者のコマ絵は、物語原稿に依拠しておらずその翻案とはいえないから、物語原稿の二次的著作物には当たらず、原著作者の権利は及ばないと主張する。
しかしながら、著作権法二八条は、「二次的著作物の原著作物の著作者は、当該二次的著作物の利用に関し、この款に規定する権利で当該二次的著作物の著作者が有するものと同一の種類の権利を専有する。」と規定しており、この規定によれば、原著作物の著作権者は、結果として、二次的著作物の利用に関して、二次的著作物の著作者と同じ内容の権利を有することになることが明らかであり、他方、控訴人が、二次的著作物である本件連載漫画(本件連載漫画自体が被控訴人作成の物語原稿の二次的著作物であることは、原判決の認定するとおりであり、控訴人も、当審においてはこれを争っていない。)の著作者として、本件連載漫画の利用の一態様としての本件コマ絵の利用に関する権利を有することも明らかである以上、本件コマ絵につき、それがストーリーを表しているか否かにかかわりなく、被控訴人が控訴人と同一の権利を有することも、明らかというべきである。
控訴人は、本件コマ絵につき被控訴人が権利を有するか否かを、それが物語原稿のストーリーを表しているか否かを基準として判定すべき旨を、物語原稿への依拠の有無と結び付けて強調するが、採用できない。二次的著作物は、その性質上、ある面からみれば、原著作物の創作性に依拠しそれを引き継ぐ要素(部分)と、二次的著作物の著作者の独自の創作性のみが発揮されている要素(部分)との双方を常に有するものであることは、当然のことというべきであるにもかかわらず、著作権法が上記のように上記両要素(部分)を区別することなく規定しているのは、一つには、上記両者を区別することが現実には困難又は不可能なことが多く、この区別を要求することになれば権利関係が著しく不安定にならざるを得ないこと、一つには、二次的著作物である以上、厳格にいえば、それを形成する要素(部分)で原著作物の創作性に依拠しないものはあり得ないとみることも可能であることから、両者を区別しないで、いずれも原著作物の創作性に依拠しているものとみなすことにしたものと考えるのが合理的であるからである。
念のため付言すれば、本件コマ絵にはキャンディが初めて「アードレー家の本宅」を見た場面のコマ絵であることを示す吹出しが記載されており、これが控訴人のいう「漫画のストーリーを表しているコマ絵」に該当することに疑問の余地はない。
東京高判平成12年3月30日判時1726号162頁
もちろんこの事案の処理ということではこれでかまわないわけですが、三次的著作物や四次的著作物など延々と創作活動が続けられて当初の作品とは全く違うものになった場合において、一次的著作物の著作権者の権利が最終的な創出物に及んでもかまわないのかという問題はあるわけです。
たとえば小説を原作にしてマンガが書かれて、マンガを原作にしてドラマ化されて、ドラマのワンシーンの主人公俳優のアップ写真がポスターとなったそのポスターを構図を工夫してイラスト化したイラストの著作物があるとします。このイラストをあるマンガ家がトレースしてマンガに使ってしまった場合に、小説の作者は権利者として差止を請求できるのかというのが問題になるわけです。
イラストの構図はイラストの作者が考えたものですが、当該イラストにはポスターの創作性が含まれていて、28条によってポスターの著作者の著作権が及びます。また同じ理由でポスターにはドラマの権利者の権利が及びます。同じ理由でドラマにはマンガの権利者の権利が及びます。またマンガには小説の権利者の権利が及びます。と、こう考えることができるのかという問題なのです。
ひとつの考え方としては、28条はそういうことを定めた政策的規定であるのだから、当然に権利が及ぶという考え方です。この考え方をとると、ノート:初音ミクのQ&Aは正しいということになると思います。
もうひとつの考え方としては、28条は創作性の区分が困難であることからその全体に著作権が及ぶことを定めたのみであるから、n次的著作物に一次的著作物の創作性が全く及んでいないことが明らかである場合には、一次的著作物の権利は及ばないとする考え方です。こう考えると初版が汚染されていたとしても、そこからずいぶんと変貌を遂げて元の文章が全くなくなった最新バージョンはすでに著作権的に汚染していないといえるわけです。
ぼくはn次的著作物に関しては、後者の考え方をとるべきだと考えます。原著作者の権利が保護される根拠は、権利を侵害した著作物に原著作者の創作性が表れているからであって、それがないにもかかわらず権利を認めるということになると、もはや著作権という権利はなんの根拠もない政策目標を実現するためだけに創出された法的技術にすぎないということになってしまうからです。上に例として書いた事案の結論としては、後者の考え方から導かれる結論が公正であるということに争いはないと思います。
もっともそのような事案は事案としてはさほど多くないと考えられますから、前者の考え方に立った上で、権利濫用などで処理することも可能であるかと思います。
いずれにせよ、最新の文章が汚染されているかどうかを確認するにあたっては、当初の汚染された書き込みと最新の文章の類似性を詳細に検証すべきではないでしょうか。
「初音ミク騒動とWikipedia」にあるような、いったん削除して再登録という処理には著作権法上なんの意味もありません。たとえいったん削除したとしても、新しく作成された記述がこれまでの各バージョンと類似性を有していれば、また著作権侵害の問題がでてきてしまうからです。
また侵害しているバージョンが履歴に残っていることを問題にする向きもあるようですが、権利者が許諾しているわけですし、最新版さえGFDLに準拠していれば、履歴はGFDLに準拠していなくてもかまわないのではないでしょうか。もちろんこれは最新版との類似性が切断されているとしてのことですけれど。
関連するエントリ
「初音ミク事件について」(たけくまメモ)
「著作権の親告罪が誤解されている?」(まちゅダイアリー)
>履歴はGFDLに準拠していなくても
>かまわないのではないでしょうか。
Wikipediaは過去の版を他人が使用することも範疇にいれているようです。
関連して、中間の版をファイルアーカイブ的に使われること
(明らかに黒の文書を入れてから即次の版で消し、前の版を使う)を
危惧しているような気がするのですが、
そういう危険性があっても、
履歴に問題がある文章が残ってかまわないでしょうか?
かまわないなら編集作業はかなり楽になると思いますが。
コメントありがとうございます。履歴に問題のある文章が残っている場合、許諾が得られなければ削除しなくてはならないのは当然ですが、GFDLに準拠しないもののWikipediaに公開することの許諾が得られている場合には、むしろ当該履歴に問題があることを明記した上で履歴を残した方が親切だと思います。
といってもWikipediaやGFDLのことは勉強不足ですので、これを機会に勉強してみます。
>当該履歴に問題があることを明記した上で
WikipediaとGFDLについての考察の際には、
この「明記」する場所について、
どこに書けばそれを明記したことになるのか、
どこはシステム的に追記できる場所で、どこが追記出来ない場所か、
といったことを検討しながら考えていただければ、
より有意義になるのではないかと思います。
よろしくお願いします。